【 疾走ほりでぃ 】
【企】で始まる不幸な日
自分の部屋のドアをそっと開けてみる。
ちょっとばかり埃がかっている廊下の様子は別段何か起きているわけではなく、依然としていつもと同じような平静を保っていた。
もちろん要注意人物の父の姿はない。
もう少しだけ身を乗り出してみる。そして、その先のリビングのドアの曇りガラスを凝視する。
バブル期に増設された簡単な作りの公営住宅なので、少し出ればリビングでの様子が大体窺える。
リビングの電気は消えているが、今、
テレビで大絶賛放映中だろうバラエティ番組の観客のゲラゲラとバカ笑いしている声が聞こえてくる。
たぶん、父はそれに見入ってるんだろう。
しめしめ、という表現は少し古いだろうが、しめしめという効果音が似合いそうな表情で廊下に出た。
手には父の会社のロゴをあしらってある茶封筒がある。中にはこの間の中間テストの答案一式ぎっしり詰まっている。
どれも危ない点数なわけで、今からこれらを秘密裏に処分しないといけないわけで。
ほら、あれだ。俗に言う「証拠隠滅」?
見られちゃマズいものをずっと自分のところに置いておくわけにはいかないからね。
赤点こそは取らなかったけど、あんな点数を父に見られたら確実にどやされる。
お説教なんて絶対勘弁だから、土曜のうちに処分をすれば、そんな危機を回避できるというわけだ。
父のことだ、成績に五月蝿い割には日程とかぜんぜん頭にないわけで。
話は迷宮入りっていうか、そのまま明るみにならない。ふふふ……我ながらシンプルでナイスアイディア。
玄関のほうへ忍び足気味の小走りで向かう。靴を履いて、いざ出じ……。
玄関のドアノブを握った瞬間、お腹に違和感。
「……その前に、おトイレだね」
最近、便秘気味だったから、きっとお通じがきたんだろう。
やれやれ、まったく、どっこいしょ。
下駄箱に封筒を置いて、靴を脱ぎ捨てトイレへ走る。
戸をあけて、便座の上にピットイン。無論、ドアは閉めた。少しばかりの至福のときを得る。うぅん、ゆーとぴあ。
すると、ドアの向こうからドタドタと忙しない足音が聞こえてきた。
「桃子ぉ! お父さん、急に一時から会議が入ったから、ちょっと行ってくるわぁ!」
「いってらっしゃーい」
玄関のほうで、ドタバタ地団太を踏むような足音がしてから、玄関を荒っぽく閉める音が聞こえた。
ふふふ……。
ますます好都合。あの様子だ。しばらく帰ってくることはないだろう。
天は我に味方した。
便座の上で小さく拳を高らかに上げてガッツポーズ!
立ち上がって、水洗トイレのレバーノズルを「大」のほうに勢いよく傾け、トイレから出る。
汚れたわけではないが、着ている水色のワンピースのスカート部分を少し払う。
下駄箱においてある封筒を手に取り、中身の束を掴み取る。
これでゆっくり、処分できそうだ。
きっと、鏡で自らの顔を見ると、結構黒い笑みをを浮かべているのだろう。
優越感に浸った悪代官よろしく、地球征服でも企んだマッドサイエンティストの気持ちの悪そうな黒い微笑をしつつ、高らかに。
「この『夏季大福フェア・プレゼン企画』を、ようやく……」
……あれ? ちょっと待て。
コレの中身って、危ない点数の答案一式っじゃなかったっけ? あれ〜……?
さっきの黒い笑みから一転。目が、点に。
確かに、この封筒に入れたのだ。バレないようにこの封筒に入れてカモフラージュしたはずなのに……。
なのに、テストが企画書に化けた?
いやいや、そんなタヌキやキツネじゃあるまいし。
一回状況を整理してみようよ。私は頭の中でさっき起こった出来事を整理する。
そうそう、お通じ来たからトイレに駆け込んで、その後お父さんが、会議があるからって急いで元気よく出社……。
「……まさかっ!?」
頭の中に最悪のパターンがよぎった。
「お父さん間違って持っていっちゃった!?」
愕然とした過剰なリアクションをとった後、急いで玄関を飛び出した。
続く